私が弘前の野砲隊に入隊したのは、終戦間近の昭和20年7月5日で日本の軍隊では最後の初年兵でした、入隊してすぐ軍服を着せられ襟に星ひとつの2等兵となりなんとなく誇りを感じたものです。

その頃の日本は日支事変に続いて太平洋戦争と長期の戦争で物資が極度に欠乏し特に衣料品と食料、農村では1番欲しい肥料が不足し生産もあがらなかった。
肥料がないので稲の堆肥には蓬など青草を細かく刻んだものを青草分施として使うように指導していました、ついに沖縄も占領され各地の空襲が頻繁となり毎日が恐怖の連続でした。
軍は本土決戦、水際撃退を叫んで国民の士気を煽るのに懸命になっていました。

7月を半ばを過ぎ弘前駅から列車に乗せられ出発しました、兵隊だけの軍用電車で初年兵の私たちには行き先もわかりません。上官のひそひそ話で九州の天草行きらしかった、予想もしないところであった、沖縄に近いから’玉砕だな・・’と言う兵隊もいましたがそれにも増して空襲の激しいさなか無事に九州まで行けるかどうかが心配でした。
列車は羽越、北陸本線の日本海回り、車中でも起床点呼の規律が守られ、夜は窓を上着などで覆って灯火管制、初年兵は座席の下に長くなって寝た、客車の硬い床板がガタンゴトンと背中に伝わってくるのだがそれでもぐっすり眠れました。

福井駅を通過した朝のことゆっくり走る車窓から福井空襲の惨状が見えた、見渡す限りの焼け跡その所々に火がくすぶり道路にはむしろで覆われたものが点々とあるのが見えた。
遺体のようであった、この惨状に”日本は負けるんだな・・”と思ったものである。
列車は空襲にもあわずに無事熊本駅に着き、三角港から天草島に上陸した、三角港では不意に空からの機銃掃射にあい、全く生きた心地がしなかった、大きな倉庫に身を隠し耳をふさいで地面に額をつけ退避した、幸いにも2人の軽傷者が出ただけであった。

着いた兵舎は熊本県天草郡2江町のお寺で独立混成126旅団砲兵隊、お寺は小高い場所にあった、
軍事教練は島原半島を望む海岸で行われた、たまに見せられる1日遅れの新聞に”広島に新型爆弾”と載っていた。

南国の太陽の照りつける暑い日だった、2江の町から荷車に爆弾を積んで鬼池港に行く途中休憩したときのこと、はるか遠方海の上空に形のよいキノコのような真っ白い雲がふんわりと浮いてるのが見えた、高度何千メートルであったろうか、キノコの軸はかなり太く見えた。
そのキノコの形の雲が長崎に投下された原爆の煙だったとわかったのは後になってからである。
煙を見た地点から長崎までの距離は30キロほどのようであった。

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I enlisted in the Hirosaki Field Artillery on July 5, 1945, near the end of the war, and was the last first-year soldier in the Japanese army.

At that time, Japan was in the midst of a long period of warfare, with the Japan-Sub China Incident followed by the Pacific War, and supplies were extremely scarce, especially clothing and food.
Because of the lack of fertilizer, we were instructed to use finely chopped green grass such as mugwort for composting rice as a green grass fertilizer.
The military was trying hard to stir up the people's morale by shouting for a decisive battle on the mainland and a waterfront invasion.

In the middle of July, we were put on a train from Hirosaki Station. Some of the soldiers told us that it was going to Amakusa in Kyushu, a place we had not expected, and that it was close to Okinawa, so it would be a "jikkaishiki" (the destruction of Japan).
The train was on the Haneetsu and Hokuriku lines, bound for the Sea of Japan, and even in the train cars, the discipline of wake-up and roll call was observed, and at night the windows were covered with jackets to control the lights.

In the morning after passing through Fukui Station, I saw the devastation of the air raid on Fukui from the window of the slow-moving train.
It looked like dead bodies, and I thought to myself, "Japan is going to lose...".

The train arrived safely at Kumamoto Station without being hit by air raids, and we landed at Amakusa Island from Triangle Port. At Triangle Port, we were unexpectedly hit by machine gun fire from the sky, and we didn't feel like living at all. We hid ourselves in a large warehouse, covered our ears, and evacuated with our foreheads to the ground.

In the event that you have any questions, please do not hesitate to contact us.
It was the first time I had ever been to a military training session, and it was held on a beach overlooking the Shimabara Peninsula.

It was a hot, sunny day in the tropics, and I was taking a break on the way to Oniike Port after loading the bomb onto a cart from the town of 2e, when I saw a white mushroom-shaped cloud floating softly above the sea in the distance.
It was not until later that I realized that the mushroom-shaped cloud was the smoke from the atomic bomb dropped on Nagasaki.
The distance from the point where I saw the smoke to Nagasaki seemed to be about 30 kilometers.

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